ピーポーピーポーと10分もしないうちに、周産期母子医療センターのある病院に搬送される。
担架に乗ったまま運ばれ、MFICUと書かれた個室部屋のベットで天井を暫く見たままボーっとしていた。
MFICUとは母体・胎児集中治療室(maternal-fetal intensive care unit)の略で、ハイリスク妊婦・産婦・褥婦(分娩後の母親)が入院する所らしい。
いわゆる『切迫早産』というやつだった。理由は子宮頸管長短縮。
正産期(37週)に入るまでに子宮頸管の長さが25mmより短ければ入院となるらしく、私の場合は29週の段階で13mm。
このまま今まで通りの生活をしたら、早産のリスクが高いとのことだ。29週だとNICU(新生児集中治療室)であれば助かる確率も高くなるが、出来るだけお腹の中で成長する事が大切だそうだ。
↑は、入院したその日にいろいろ調べてメモしたもの。
まだ、他人事のように感じているところがあるが、現実なのだと理解するのに数日かかった。
感染など原因はいろんな説はあるものの、明確ではないそうだ。
2週間前まで問題なく、お腹の張りや出血もなかった(だから無力症というのだろう)。ただ自分の中で思いあたるのは、
- 5年ほど前に子宮筋腫と頸管ポリープの手術をしたこと
- 悪阻が落ち着き、開業した事もありよく動いてたこと
- 虫歯の治療中、歯茎から出血増えた
これくらいだ。
オリモノも増えた気はしていたが、1人目妊娠の時もこんな感じだったはず…と気にしてなかった。
もう少し頸管長があれば、お腹の張り止め薬を飲み自宅で大人しくして対処できるそうだが、私はその薬(リトドリン)を点滴で効率良く入れ、トイレとシャワーと歯磨き以外はベットの上で過ごすという絶対安静を強いられた。。。
“頸管が長くなる場合もある” とネットで見たので、数日で退院できるものと思っていたが、
弱った子宮頸管は元には戻らないよ。
といわれた通り、私の子宮頸管は数ミリ伸びたかな〜?と先生をも思わせた次の瞬間、短くなったり…伸び縮みする頸管だったようで35週がくる頃には5mmになっていた。
※個人的あるので、あくまでも私の場合ね
1日…1週間が過ぎ、お腹の張りが落ち着いたので、MFICUから大部屋へ移動。
2〜3週間と過ぎていくうちに、大部屋で他の妊婦さんの状況が何となく分かっていくと『退院できるかも』という期待はなくなっていきました。
2歳半の娘とは、保育園で『いってらっしゃい〜』と言ったきり会えない日がどんどん更新されていった。夫だけでは到底娘と2人暮らしは無理なので、母が家に泊まってくれ面倒を見てくれている。
更にコロナ禍、ちょうど愛媛県でも感染者が増えてきた時期。
- 免疫の低い15歳以下の子どもは面会NG
- 週に1回のみ家族1人との面会可(15分)
という状態で、2ヶ月近く娘と離れ離れになることに。1日も離れた事がなかったのに…とても不安だった。
更に夫の周りにPCR検査を受けた人がいる事が判明し、面会が禁止される。洗濯物等の荷物は病院の正面玄関まで看護師さんが出て行ってくれ、受け渡しをする日が続いた。
大部屋に4人、窓側ではなかったのでカーテンに囲まれた狭い空間で、息を殺すように時が過ぎるのを待つ日々だった。
To be continue….